『ぼく、牧水!──歌人に学ぶまろびの美学』伊藤一彦/堺雅人(角川書店2010)より抜粋
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けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く
海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり
きゆうとつまめばぴいとなくひな人形、きゆうとつまみてぴいとなかする
納戸の隅に折から一挺の大鎌あり、汝が意思をまぐるなといふが如くに
そうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺は洞のやうに暗い
旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に
なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に出づるや、何故に旅に
吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ
手を切れ、双脚を切れ、野のつちに投げ棄てておけ、秋と親しまむ
浪、浪、浪、沖に居る浪、岸の浪、やよ待てわれも山降りて行かむ
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
堺氏は、「白秋、啄木という、キラキラと研ぎ澄まされたナイフが二本ある間に、鈍くて重いナタが一本ドンと置かれている感じ」「世のなかには、鈍い刀じゃないと切れないものもある」と語っている。
又ご長男の旅人氏は、「お父さんがいると家の中が明るかった」と書き残している。子供思いのいいお父さんであり、有名な歌人という自意識がなかった人。格好いい。
キリンレモン空の大きさ見逃して