『水の聖歌隊』 笹川諒(書肆侃侃房2021)より抜粋
椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって
かなしみを薄く伸ばして紛らわす夜の隅は地域猫に任せて
手は遠さ 水にも蕊があると言うあなたをひどく静かに呼んだ
呼びたい、と思えばひかり。でもひかり(あなたが予期せずして持つ身体)
特急の座席でよく行く美術館のにおいがふいにして 雨は鐘
驟雨去り葉から葉の生まれるような気配に気後れをしてしまう
優しさは傷つきやすさでもあると気付いて、ずっと水の聖歌隊
世界が終わる夢から覚めて見にゆこう鹿の骨から彫った桜を
(海沿いを歩くシスター)それからを僕は幼い僕と歩いた
新しい歌集の場合、どこまで引用して良いのか悩む所だが、今回はお気に入り10首を自分用の控えとして残すことにする。
厳密に言えばSNSに転載する事は全て著作権の侵害に当たる。解っているが…無料の広告として役に立つこともあるかと…お見逃し下さいませ。
さて、歌集の感想を。
印象としては歌集というよりも詩集。立原道造やリルケに近いかな?
繊細、静寂という言葉がまず思い浮かび、最終的には甘くセンチメンタルな読後感が残る。寂しさよりも優しさがこの人の本質に近いのだろう。(八木重吉は寂しいが、立原道造は優しい。)
作家さん達が時々話される「言葉に映像がある」という感覚がよくわからなかったのだが、この歌集を読んでいて、ああこうやってまず言葉を選び、言葉を組み立てて世界を作り出していくのだな、と腹落ちした。
私の場合、まず映像が浮かんでそれを言葉に訳していく過程を踏む。しかしプロの方々はそこを飛ばして、いきなり言葉から始まる。言葉自体に鮮明なイメージが結びついているのだろう。最終的に出来上がる作品に大きな違いは無いとしても、なんとも効率良くて羨ましい話である。
物事を映像で考えるのは生まれつき、脳の仕組みによるものなので、今更どうこうできるものでもない。素人は素人なりに、時間をかけて楽しむしかないのであろう。