『音楽』岡野大嗣(ナナロク社2021)より抜粋
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映画館をスクリーンまで歩くとき森の枯れ葉を踏みゆくここち
音楽は水だと思っているひとに教えてもらう美しい水
犬がとまる 春なら花見で座れないベンチの前に何かをみてる
片方が世界に落ちて鳴っているもう片方は耳に鳴ってる
耳は足 ベランダへ出て澄ませたら春のだいたいどこへも行ける
ベランダに出ているきみが手招きをして月じゃない光をみせる
もう会えない人に会いたい乗るまでの光しかない空港にいて
ねむたく鳴ったらおしえてよ おやすみは人間のままできるさえずり
窓の灯にまたみとれてるこれ以上完成しない景色の中で
時間よりゆっくり落ちてくる枯れ葉 ここは何処 ここからは過去だよ
安福望さんの描くイラストとのコラボで大人気の岡野大嗣さん。共著を除くとこちらが第三歌集となる。
SNS(主にTwitter)では、こういった作風が現在の主流と言える。流石に食傷気味。岡野大嗣は二人もいらないのよ…真似たくなる気持ちはわかるけど…
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こういった作風とは→主体は曖昧なまま気分だけが詠まれ、内容は希薄。刹那的な世界観の中で、「エモい」フレーズが器用に組み立てられ、増殖大量生産されていく。
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「エモい」が評価の基準となり、それ以上の深掘りがなされない。共通認識の枠外では通用しない。SNSの限界。
担い手が増える事は喜ばしい限りなのだが、これは短歌にとって本当に良い進化なのか危ぶまれる。
花首を切り落としたり女正月