『孤燈春秋──俳句、言葉の空間』 塚本邦雄(五音と七音の詩学 大岡信編/福武書店1988)より抜粋
暮れ早き燈に躍りいづ萩一枝 加藤楸邨
萩の花くれぐれまでもありつるが月出て見るになきがはかなさ 源実朝
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
「鎌倉殿の13人」の影響で、文献に実朝が出てくると、おっ!と目がとまるようになった。できればゆっくりと読みたいのだが、いかんせん時間がな…
「ともしび」が切り口の評論(1983)である。前半は高柳重信と定家、後半が楸邨と実朝の対比で語られている。
特に実朝の「虚無の萩」についての筋立ては、塚本邦雄らしい解釈がぴたりと嵌り小気味良い。そこから昭和十九年絶望の中にある楸邨へと展開される。ここでの考察が正しいのかどうか浅学な私には判断できないのだが、評論の書き方として秀逸であり、衒学的な言い切り方等大変勉強になる。
そして40年前に塚本氏が出した結論はこうだ。
「いかに否まうと拒まうと、黙殺しようと、二つの詩形は、同一次元の同空間に生れ生き、そして必ず死ぬべく約束されてゐるのだ。(中略)否と言ふ人は、盲目か、見ることを怖れてゐるかであらう。」
秋天に薄く水脈引く櫂の舟