かなしめば鵙金色の日を負ひ来
死ねば野分生きてゐしかば争へり
夾竹桃しんかんたるに人をにくむ
寒卵どの曲線もかへりくる
おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
私のベスト5を選んでみた。
楸邨の膨大な遺作の中から百句を選定するのは難しい。ふらんす堂のこのシリーズは、俳人の紹介を主目的としながら、著者(選者)がどういった切り口で百句を選定し解説するのか、を楽しむ本でもある。
読みやすさはダントツ、楸邨のファンが増えること間違いなし、意外と真面目に書いてるじゃんと思ったらもう貴方の負け…どこまで計算してふざけているのか…北大路翼恐るべし!である。
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
解説の中で違和感があったものがいくつかあったので書き出しておく。同じ句を読んでも人ににより解釈は異なる、世代の違いで共通認識がここまで違うのだな、と改めて感じた。
① サイレンをきき熱風に憩ひける
「戦争関係の警報ではなく、防災訓練か何かのサイレンなのだと思ふ」とある。
私は工場のお昼を知らせるサイレン、田舎で野良仕事をしている人に向けて鳴らすお昼や夕方のサイレン、を思い浮かべた。最近はチャイム音が一般的だけれど、昔はサイレンが律儀に鳴っていた。
② 春愁やくらりと海月くつがへる
引き波によってくつがえる海月を見てはっとしたに違いないと書かれているが、これは水族館か水槽の海月ではないか?と思う。地域差があるので断言はできないが、海水浴場で海月が目に見える大きさになるのは夏、お盆明け頃である。となると季節は晩夏〜秋。
③ 農夫の葬おのがつくりし菜の花過ぎ
「食用の茎や葉の緑ではなく、素直に明るい黄色い花を思ひ浮かべたい」とある。
近畿のこの辺りでは、ビルの谷間の小さな田圃にも菜の花が咲く。主に土の保全が目的と聞いている。肥料として土に鋤き込んでいるのだろうか?
蕪村の時代には菜種油の採油が盛んで、摂津は一面の菜の花畑だった。楸邨の時代はどうだったのだろう?この農夫の作る菜の花も、食用ではない可能性がある。
④ 牛に煮る古馬鈴薯は人も食ふ
「新馬鈴薯だつたら、人しか食べないといふ含みを持つ「は」だ。」とある。新馬鈴薯は牛には食わせない─という解釈か?
私の感覚だと、この『人』は農民。新馬鈴薯は売る物=商品であって、古馬鈴薯もしくは規格外の馬鈴薯が食用。牛と人間が同等の貧しい世界の話とみた。