『定本 石橋秀野句文集』石橋秀野(富士見書房2000)より抜粋
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初期俳句作品より
蚊柱の別れて消ゆる槻の闇
旅衣とけば扇のはたと落つ
雛納め昼の遊里の灯りけり
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前半は『句文集 櫻濃く』の完全収録、後半は初期俳句作品の蒐集再録。
『櫻濃く』には俳句の他に随筆12本、感想と題して短い文章が6本納められている。
今回は随筆を読みたくて取り寄せてみた。どれも生き生きとして面白く、当時の風俗や女性の立場を知る資料としても役立つ。
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
私が子供の頃には、明治生まれのお婆様がまだ生きてらしたのだが、秀野はその同世代!だと気付いた。
小学校を出たら女中奉公(行儀見習い、花嫁修行の意を含む)をするのが一般的だった時代、秀野は文化学院本科大学部へ入学している。それを許す、特殊な家庭環境であったと言えよう。20歳で結婚後もかなり波瀾万丈の生涯を送っている。
件のお婆様は、秋山中将(坂の上の雲の弟の方)のお屋敷でお勤めしたというのが語り草になっていた。晩年も髪をきちんと結い上げ、緩やかに着物を着こなし、日が高いうちは横になる所を人に見せることがなかった。明治の人は一本筋が通っていると、母や叔母達は感嘆していた。「〜ぞなもし」という生粋の伊予弁を話せたのも、あの世代が最後だったのかも知れない。
剥がしても同じく私目借時