ここで死ぬことにした蝉 子が拾う
交差点縫い止められる影の濃さ
一日の終わり夕焼け窓四角
また一つ花火が上がる指先に
すれ違う人なく逮夜蜜柑花
世界から雨が集まる夜のシネマ
鞄から蝶飛びたてば夏の中
黒南風やトランクで鳴るタンバリン
少年は獣の一部夏休み
昼顔の千切れてここが泣きどころ
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
『文豪と俳句』岸本尚毅(集英社新書2021)より抜粋
夏草の 葉ずゑに血しほ くろみゆく
鷗外
連日ウクライナのニュースが続き、鴎外の『うた日記』が気になった。あのような戦地で本当に俳句など詠めるのだろうか?
直近に読んだこの一冊は、鷗外の詩作について概略を知るに相応しく、私が知りたい答えもほぼでていると言って良い。戦地でも頭の中には詩歌の地平が開けていると岸本氏は想定している。
「…俳句ではその短い形式に見合った即時、即興を詠ったのです。鷗外はそれ以上のことを俳句に求めなかった。俳句は折にふれての癒しの詩形であればよかった…」