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echire☆echire project 俳句の記録

半夏生

後々親族に有名人がでたら、NHKファミリーヒストリーの取材がくるかも…と思いながら書いてみた。

訳あって本家で育つ子はもういない。外孫の甥っ子達がいつか知りたいと思う日がくるかもしれない。私の記憶の中にある一族のルーツの話である。

 

 

 

元は伯耆の国(現在の鳥取県)の出で、お殿様が伊予の大洲に国替えになった時に同行した陪臣であったという。何代か後の御女中が、何らかの理由で下野し就農。その方はお毒味役で、お宿下りの時に賜った「お茶碗と銀の箸」が家宝として伝わっていた。

† この家宝については摩訶不思議な因縁話があるのだが、ここでは割愛し別の機会を設けて書き残す事にする。

 

眉唾物のあやふやな言い伝えだが、ド田舎の農家の伝承などは、この程度が関の山である。

私の父で十六代目、途中で縁戚から何組か養子が入っており、残念ながら件の御女中と血が繋がっているとは言い難い。

 

江戸時代は苗字がなく、「小平」「小市」が代々当主の名で、親子が交互に名乗っていた。

† その当時の名残で家紋も「○に小の字」という唯一無二の紋である。

 

この辺りからは、氏神様の石碑に名前が残っており、郷土史にも記述が出てくる。村で三番目位の農家で、微妙な位置付けだがまずまずの大家と言える。正確に解る範囲では何代遡っても農家。兼業で醤油醸造や廻船業を手掛けていた時期もあったらしい。

 

ところが明治の御代に、とんでもない放蕩息子の祖父が誕生してしまう。

破天荒、波瀾万丈…余り詳しく書くとまだ存命の叔父叔母に怒られそうなので、この話はここで終わりにしよう。

 

† フィクションの程で書けばいいとは思うものの…文才が無くてね…

‡ 前述の家宝の話もこの祖父絡み。父が話を盛っている可能性はあるが、鏡花か綺堂か百鬼園か…京都が舞台の怪談話とだけお伝えしておく。

 

 

 

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行先を古地図に記す半夏生