もっと「強い俳句」が読みたい、と以前『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』の感想文に書いた。
読みたいなら自分で詠めと言われそうだが、そんな才能は無いと初手から諦めている。語彙が不足しているだけなら努力もできる。しかし「強い」言葉を探せばよい訳ではなく、「強い」思い入れが必要なのである。「殺るか殺られるか」の切迫詰まった世界観を形成するには、私の場合平凡極まりないこの性格、生活に問題がある。
「強い俳句」製作は他の方にお任せするとして、次に好きなジャンル「物語性のある俳句」を目指すことにした。例えば泉鏡花のこんな句である。
門の松狂女の背にたそがるゝ
腰元の斬られし跡や躑躅咲く
夕立晴れて磔柱ならびけり
矢叫や沖は怪しき五月闇
手にとれば月の雫や夏帽子
語彙自体はさほど難しくない。矢叫(やたけび)を調べた位で、ふりがなも必要なく読め、意味も解る。鏡花の作と知って読むと極彩色の世界が広がり美しい。
問題は無名の私が同じように物語を作って、世間様に通じるのかどうかだ。まず実景じゃないと怒られ、季語が立ってないと怒られ、綺麗な言葉を集めただけの遊びだと怒られる?怒られるならまだマシ?笑。
膨大な俳句が読み捨てられていく中で、自分が作る意味を探す時、私こういうのが好き!という確認を何度も繰り返すことになる。
仕事ならばマーケティングをしてターゲットを絞ってetc.と売る為の手法を徹底的に使う。しかし俳句は趣味、売上目標はない。真底やりたいようにできるから、楽しく長く続けられるのだ。(と思いたい。)