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echire☆echire project 俳句の記録

山躑躅豪傑笑い疾り抜け

 

 

 

分け入つても分け入つても青い山 種田山頭火

 

 

 

金子兜太はこの句について

ヴァガボンドの感傷と憧れとでもいいたいような、角笛の哀調がある。心奥の難に疲れはてている人間の放浪句というよりは、多感な戸惑いがちな旅感の句として読める。」と書いている。

 

この句について、山頭火について調べてみた。前書に「大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」とある。この年四月七日に尾崎放哉が亡くなっており、その三日後の四月十日、山頭火は旅にでている。この時山頭火四十五歳。すでに中年だが、気持ちとしてはまだ若々しく、山に溶け込むように歩く人間=放浪者の姿が見えてくる。

 

この句が人に好かれる理由は、表面の明るさの奥に虚無の翳りがつきまとう、その二重性にあるのではなかろうか。簡潔平明な表現で、美しい文体、季語季題からは完全に解き放たれた、一行の詩が生み出されている。

 

 

 

山頭火を調べていくと、鈴木しづ子や中城ふみ子(歌人)との共通点のようなものが浮かんでくる。自己投影の対象として偶像アイドル化され、周りにはあやかりたい、利用してやろうと近づいてくる有象無象の群。

優秀なプロデューサーの手腕によって名前が売れた俳人は数多いるが、その作品に圧倒的なオリジナリティが無ければいずれ忘れ去られていく。結局人は自分が読みたい物を読む。生きたいように生きるのだ。

 

 

 

街はづれは墓地となる波音 種田山頭火

 

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《参考文献》

山頭火句集 村上護編/ちくま文庫

放哉と山頭火 渡辺利夫/ちくま文庫

種田山頭火 漂泊の俳人 金子兜太/講談社現代新書

放浪行乞 山頭火百二十句 金子兜太/集英社文庫